振り返りの医学部受験

何年か前に息子が医学部受験を経験しました。受験中は何がなんだかわかりませんでしたが、今だからこそ「ああなるほどなあ」と思うところがあります。

子の教育は親を高めることにつながる

子供や後輩、部下を教育したり、導く立場に立つと、自ずと自らの襟を正したり、客観的に見るようになると思います。


こういう可愛い目下の人たちがいるときは、自分自身も頑張れているような気がします。


仕事の面でも、メンタルな面でも自分がしっかりできているように思います。


長らくこのことに気づいていなかったのですが、最近になってやっとわかってきました。



そこで、最近は目下の人たちの面倒を買って出ることが多くなりました。


そして、私の見立てはどうも正しかったなあと改めて実感しています。


私と比較させてもらうのは僭越ですが、教育者に立派な人が多いのは、元々立派だったというより、教育者としての立場が、その人を成長させているのかもしれません。



息子にかけていた数々の親としての言葉は、結果として私自身にもかけていたことになるのかもしれません。


息子がいなくなっても、色んな人の面倒を見ることで私自身成長し続けたいと思った次第です。

英作文をやり過ぎると

私の受験時代の思い出を一つ。


第一志望校の英語の試験ではかなり長い英作文が出ていました。


私自身受験時代、英語は結構得意で、駿台模試の偏差値が年の後半は70を超えていましたが、英作文は苦手でした。


そこでやったことというと、当時参考書として有名だった基本英文700選の構文を全て覚えるというものです。


確かに英作文だけでなく、英文解釈の力も随分ついたと思います。

英語に限って言えば、成績優秀者欄に掲載されるようになりました。



弊害として、こんなこともありました。

模試で現代国語の課題文を読んでいると、日本語の文章が次々と頭の中で英文に変換されて行くのです。


ほんの僅かの期間ですが、この現象には閉口しました。

現代国語の問題が落ち着いて解けないのです。笑

今では笑い話ですが、当時は頭がパニックになりました。



後になって感じたこともあります。


丸覚えにかけた時間がちょっともったいなかったなあ。


偏った学習方法は、弊害を生むことがあるなあ。



正しい方向性と正しい方法論でコツコツ学習することはいいことだと思います。

ただ、視野が狭くなると、全体のバランスを崩したり、労力の無駄が生じます。


私のやり方は必ずしも効率的ではなかったように思います。

ただ、突き抜けた感が生まれたのはよかったと思うのですが。


対して息子の英語力は医学部受験生としては、かなり物足りないものでした。


それなりに勉強をしていたものの、伸びた感がそれほどありません。

こういった受験生こそ、力任せにテキストを制覇し、突き抜けた感を一度味わった方がよかったのかもしれません。


しかし、こういったある意味偏った学習ができるのは、夏休みの間まででしょうね。


したがって、夏が過ぎた後は、息子に対して英語の学習方法についてサジェスチョンをすることは一切なくなりました。

模試の成績がいくら悪くても、コメントすることすらありませんでしたね。


緩やかな上昇しか望めないと思ったものです。

絶対間に合いそうにないほどの緩やかな上昇でした。

女性の再挑戦

ふと昔のことを思い出してしまいました。


私は、学生時代の友人と今でも頻繁に会っている人が多い方だと思います。年に3回以上会う人が10人を超えます。


学生時代親しかったある友人と私は、それぞれ1学年下の女性と親しくお付き合いしていました。

4人で旅行に出かけたりして楽しい青春時代を送りました。


友人の彼女は、大学を卒業した後その友人と結婚したのですが、どうもうまくいかなくて離婚してしまいました。

その後、彼女は再受験し、国立医学部に進んだのち、医師になりました。


私が親しくしていた彼女は、一旦一流会社に入社し、その後、医師と結婚しました。

それで終わりかと思っていたら、その後奮起し、公認会計士になりました。


人間関係をある程度示さないと、彼女たちの奮起の度合いを理解してもらえないと思い、少々具体的に書いてしまいましたが、私が言いたいなあと思ったことは、「女性の再挑戦」には素晴らしいものがあるということです。


現状に満足する選択肢も十分あったように思いますが、自己実現のために頑張ったのだろうと思います。


上にご紹介した2人の女性は、押し出しの強い人というより、むしろ、穏やかで、やさしくて、素敵な女性たちでした。

一見普通の人が、強い芯と強い信念を持っていたということですね。


彼女たちが再挑戦した時代は、すでに30年近く前のことですから、時代が変わって今現在であれば、もっともっと女性の再挑戦があってもいいのだろうと思います。