振り返りの医学部受験

何年か前に息子が医学部受験を経験しました。受験中は何がなんだかわかりませんでしたが、今だからこそ「ああなるほどなあ」と思うところがあります。

ひどいなあ~高2時点で私が念頭に置いていた大学

この間、息子の部屋で別の資料を探していた際に、息子が高2の年の4月6日付けの「医学部情報」という表を見つけました。


この時点でこんなものを作成した記憶はありません。

しかし、私以外にこんなものを作成する人間は我が家にいませんので、もちろん私が作成したものです。笑


大学名、国公私立の別、学費、所在地、最寄り駅、センター配点、二次配点、試験会場、オープンキャンパス・説明会開催日、学祭開催日を記載しています。


この頃はまだ志望校が全く決まっておらず、絞り込みもかけていなかった時期ですね。



ところが驚いたのは、掲載大学です。

理3を記載していないのはいいとして、

医科歯科

千葉

筑波

横市

慶應

順天堂

慈恵

について情報を記載しています。


まあ、驚きです。

首都圏の難関大学を並べただけですね。


息子が医学部に行きたいと言い出したのは高1の秋から冬にかけてのことだったと思います。

東工大の学祭と駒場祭に出向いたしばらく後のことだったと記憶しています。


ですから、高2の4月というと私も医学部のことがよくわかっていなかった時期です。

お恥ずかしい限りです。


あの時期の成績でこれらの大学を一覧表にまとめたというのは、知らないにもほどがありますね。苦笑


結局、これらのうちかなりの大学を受けるところまで行ったことは僥幸だったとは言えるのですが。



整理した情報内容からすると、どうやらオープンキャンパス・説明会と学祭に出向くために整理をしたようです。


確か高2の間にほとんどの受験大学は見学を済ませていましたから。


息子の本格的な受験勉強の開始は高3の6月ですが、私が受験情報を意識しだしたのは高2の春だったようです。


そうそう、今思い出しましたが、息子には、

「医学部を目指すなら、高2の春から受験勉強を始めなけりゃね。」

と言っていたのでした。


息子は私のアドバイス通りには始めませんでしたけれど。苦笑


むしろこの頃から部活に一層精を出し、この後部長になってしまいました。


部長になる直前に私に相談がありました。

「お父さん、僕ね。最後の最後まで部活続けたいんだけど。」


私の想定していなかった展開になってしまいましたが、即断しました。


「君がやりたいなら部活続けていいよ。その代わり、部活引退したらしゃかりきになって受験勉強を始めるんだよ。」


このときですね。

浪人1、2年は仕方がないと覚悟したのは。

はっきりとその日のその場面を覚えています。


結果はともかく、息子は私との約束通り、部活引退後超本格的に受験勉強を始め最後までやり通しました。


息子は自分の意志を私に尊重されたことを今でも喜んでくれていますが、私は息子への絶対的な信頼というものを得ました。


その後既に何年も経ちますが、あの時の父子関係がそのまま今に至っています。


親子といえども、お互いに信頼感を醸成できる機会はそうそうないものです。

我が家では、受験が格好の機会であったわけです。