振り返りの医学部受験

何年か前に息子が医学部受験を経験しました。受験中は何がなんだかわかりませんでしたが、今だからこそ「ああなるほどなあ」と思うところがあります。

センター本番とセンター対策に失敗したか

息子のセンターの結果は950点満点で目標点に足りないこと35~40点ぐらいでした。


随分昔のことで恐縮ですが、私が受験した共通一次試験の得点率より、息子の得点率の方が低かったのです。


私の頃は、理科2、社会2の時代ですからね。

そうすると、息子の場合はヤバイです。


これはかなり不味い状況です。

2次で挽回するのは無理だろうなと思いました。


センター終了直後の息子のがっくりした姿を見て、私は、センター本番で失敗したんだなと思っていたのですが、息子の自己評価は違いました。

「あのときの自分の力だと精一杯の結果だったよ。」


余談ですが、このときの家内の悲しそうな顔が今でも目に焼き付いています。


「あなた、○○どうかな?」

「あの出来だと残念だけど△△(第一志望校)は無理だろうな。」

「そうなんだ。それでも受けさせるの?」

「不合格になったら可哀想だけど、第一志望を受けることさえさせないなんてもっと可哀想だろ。あんなに頑張っているんだぜ。」

「うん、そうだね。あなたに任せる。」


でも家内は息子に対しては一切ガッカリした態度を見せることなく、最後まで応援していました。

辛かったろうと思います。

息子が最後まで心折れなかったのは、家内の頑張りに尽きると思います。


□□(家内の名前)、感謝しているよ。


実は長年夫婦をやっていて、昔は私も家内に随分迷惑をかけたものです。泣かせもしました。

でも、最後はいつも笑顔でいてくれました。

我が家は、家内で持っているのですよ。

私の母親がいつもそう言っています。苦笑



話を戻します。

12月から1月までの間にセンターの力は多少は伸びたようですが、爆発はしなかったということですね。


では、もっとセンター対策に力を入れるべきであったかというと、後日においても親子の意見は一致していました。

「やっぱり2次勝負でしょう。」


センターの場合は、一定レベル以上になった後はニッチな対策となり、勉強をする割りには伸びません。

ここは二次対策と異なるところです。


息子の場合に限っては、センター対策はほどほどにしながら、2次力養成に努めたのが結果として大逆転合格に繋がったんだと思います。

浪人していればもう少しセンター対策をしていたと思いますが。


この世の中に「もし」というものがあるのであれば、センター対策へもう少し比重を置くというより、受験勉強をあと3か月早く始めておいたらよかったなと思います。

息子の場合は高3の6月ではなく高2の3月ということです。


しかし、部活少年であった息子には土台無理な選択であったかもしれません。


高3の6月まで部活を続け、最後の年は部長を勤めました。

後輩のお母さん方から、家内は称賛を浴びたようです。勿論、息子に対する称賛です。


それを聞いた息子は誇ることなく、少し照れていました。


しかし、これは結果論にすぎません。

私なら、高2で部活を引退していますね。


息子は…

やはり高3の6月からと、同じことをすると思います。

それが彼らしい生き方なのかも知れません。


もし、このチャレンジに失敗したとしても、親として120%受け入れてあげるつもりでした。



とは言え、もし2次試験があと1か月早く行われていれば、息子は国立に合格できなかったのではないかと思います。


逆に言えば、それほどセンター後の息子の頑張りには見るべきものがありましたし、実際に力がついているようでした。


現役だから仕方がなかったのかも知れませんが、とにかくギリギリだったんですよね。


あれで、12月~2月の間に風邪でも引いていた多分落ちていたでしょうね。

それほどギリギリでした。


合格最低点を自己採点では少なくとも40~50点は上回っていたようですが、これは単なる勢いです。


実力は今一歩といったところでしたが、スケジューリングや体調管理、メンタルケアといった受験戦術の部分で、駆け込み合格に繋がったのだと思います。


受験マネジメントは結構重要です。