振り返りの医学部受験

何年か前に息子が医学部受験を経験しました。受験中は何がなんだかわかりませんでしたが、今だからこそ「ああなるほどなあ」と思うところがあります。

信じようとすると余計不安になる

明日(暦の上では今日)内視鏡検査をすることから、本日は久し振りにお酒を抜きました。

早めに寝るために、この記事は予約投稿しておきます。



さて。

受験生の親は、子供の合格を信じてあげることがいいことだと一般的には考えられていると思います。


ただ、私の考えは少し違うのです。


合格を信じられる根拠がそれなりにあるのであれば、信じて問題ないと思います。
その上で油断さえしなければいいと思うのです。


しかし、根拠がないのであれば、仮に信じようと努力しても、そのうち直ぐに不安になってきます。
これは当然のことですね。
信じる根拠がないということは、むしろ合格できない根拠の方が揃ってしまっている可能性が高いからです。


D判定やE判定のオンパレードで子供の合格を信じることなど私には到底できませんでした。


たとえば、我が息子のように、伸びてはいたけれど本番に間に合いそうにないという場合、不合格の可能性も十分考えておかなくては行けません。

合格を信じようとするだけでは何も解決しませんからね。


信じ切った上で子供のサポートができるのであれば、それなりに効果的なサポートができそうです。
しかし、信じたり不安になったりの繰り返しでは、親が情緒不安定になってしまい、子供に不安感が伝染します。せっかくやってあげた事も裏目に出ることがあります。


また、子供のためではなく親のメンタル維持のために信じようと思い込んでも、どうせ直ぐに不安が襲ってきます。


私は無理に息子の合格を信じようとはしませんでした。
むしろ、現役では合格ラインまで到達することは難しいと分析していました。


しかし、分析は分析であって、私の息子に対するサポートに手抜きはありません。
できることは何でもやってあげるという気持ちでした。


センターで志望校のボーダーよりはるか下の得点しか取れなかった時も、表面的には全く動じた素振りを見せず、息子のテンションが上がる言葉をかけ続けました。


心の中では「今年は終ったな…」と思っていましたが、出す言葉はやる気の出そうな言葉ばかりです。私は嘘つきです。苦笑


合格を信じてなくても、前向きの言葉はかけられるものです。


合格を信じていないから見えてくるものもあります。
息子に何が足りないのかも見えてきます。
何をやってあげれば息子に役立つかも見えてきます。


むやみに信じようとすると、足りないものに蓋をしてしまうんですよね。

人間、見たくないものには蓋をしてしまう。


私の場合、息子の合格は信じていませんでしたが、勉強方法は間違っていないと感じていました。
特に数理については特段の問題を感じませんでした。


従って、息子からアドバイスを求められたときはこれに応えたりサポートをしたりしていましたが、私の方から勉強方法についてあれこれと口出ししたのは、先日このブログで触れた小論文対策ぐらいです。


英語については、本人が伸び悩みを訴えていましたので、「他の科目の足を引っ張らなければいいよ。」とハードルを下げてあげた上で、対策について話し合いました。
定評のある長文問題集を何冊か買ってきてあげたりもしていました。

息子は一生懸命解き続けていました。



合格を信じられない場合、不合格になったらどうしよう、と親は不安になります。
これは尤もなことです。


私の場合は、全落ちのときは浪人し、一校でも合格すれば縁があったところだと考え満面の笑顔で喜んで送り出してあげよう、と考えていました。


二浪してもダメなら、非医で本人が興味を持てる学科に進学すればいい、と考えていました。
(息子自身は一浪しか考えていなかったことを後日知りましたが)


信じることより割りきること(開き直りではありません。念のため)の方が親としては楽かも知れません。
サポートも上手く行きそうです。


無理に子供さんの合格を信じなくてもいいのです。

子供さんの力に少しでもなるようなサポートができればそれでいいのです。

ただ、それだけです。