振り返りの医学部受験

何年か前に息子が医学部受験を経験しました。受験中は何がなんだかわかりませんでしたが、今だからこそ「ああなるほどなあ」と思うところがあります。

今頃親は何をしていただろう?~その2

昨夜の続きです。


この季節親としてやっていた作業の一つが受験日程表の作成です。


入試については、出願期間、1次2次の試験日、1次2次の合格発表日、入学金納付期限、その他の学費の納付期限等を記載しました。


色使いが鮮やかなものです。
青信号をイメージして合格発表日は青系、手続締切は赤信号をイメージして赤系にしました。
その他にもに何色も使いました。


大学毎に私か家内の担当制を取っていたので、どちらかの名前も書き入れています。
慶應、日医、山梨は家内の担当でした。
これらの大学を受験する際のサポートの主担当が家内だったということです。
その他の大学は私が担当すると共に、全体的に私が見渡すというものです。


親子3人で2~3度作戦会議をしましたが、後はこのスケジュール表に書き込んで行きましたので、それ以上議論する必要もありませんでした。


私は、仕事でも子供のことでも文字にした途端迷わなくなる性格のようです。



ホテル宿泊日・場所も当然のことながら書き込みました。



その他に予備校の直前講習スケジュールについても書き込んでいます。
受験校に特化した講座や医系小論文を取りました。
以前にも書いたことがあるのですが、少し取りすぎました。


ここまで来ると自分との戦いです。
予備校通いはペースをつかむ程度にするべきでしたね。
申し込みをしてお金も支払いましたが、確か、幾つか間引くことになったと思います。
5つもの講座を勧めたのは私の失敗だったと思います。



スケジュール表は余りに情報量が多かったため、A3にしました。
これも私の父親に渡しておきました。


防医から始まった長い長い受験期間。
今となっては懐かしい思い出です。



しかし、受験を自らの戦いの場とした受験生本人にとっては辛く厳しい戦いだったろうと思います。


最後まであきらめない人間だけが見ることができる頂きがあります。


受験生の皆さん。

スケジュールを立てたら、迷うことなく一気に駆け上がりましょう!